ドイツの南西部に位置するハイデルベルクには1386年創設という国内最古の大学があり、当時は政治や文化の中心都市として栄えていた。
17世紀のフランスとの戦争当時のままの姿で城が高台にたたずみ、日本でいえば京都に相当するような古都であるこのハイデルベルクにおいて、LAMY社はモダンデザインの筆記具を生産している。
常に斬新な製品づくりのために世界中のデザイナーたちとのコラボレーションをおこない、長く愛される筆記具を世に送り続けているメーカーである。
ヨーロッパ出身で世界的に活躍するデザイナーたちがこれまでLAMYで手腕を発揮したが、2008年に迎えられたデザイナーは日本人の深澤直人であった。
ドイツの文具店を歩いたが、彼のデザインした「noto」は本国でも良く売れている。
LAMYは、1930年にカール・ヨセフ・ラミー初代社長によって創設された。初代のカールは、もともとはパーカー社のエキスポートマネージャーであったので、当時は優れた職人集団を率い、どちらかと言えば技術力を売りにしていたメーカーであった。
1966年、LAMYを世界的に有名し、この出来事によってデザイン力に重きを置くモダンカンパニーに変幻させた製品が世に送られた。
「ラミー2000」の誕生である。1960年代は、現社長のDr.マンフレッド・ラミーによってデザインブランドとなるべく、造形大学でデザイナーや学生と交流し企業が洗練されていった時代であった。
2000のゲルト・アルフレッド・ミュラーやサファリのウルフギャング・ファビアンをデザイナーの二枚看板にしながらも、多くのデザイナーたちとのコラボレーションによって世界中の筆記具ファンを魅了した。
私が2009年2月3日にLAMY社を訪問した際、取締役輸出部長のエリッヒ・ダニエル氏から丁寧なる説明を受けた。彼の言葉から感銘を受けたのは、「我々は絶対に過去の遺産の上にあぐらをかかない。
君がもし三ヶ月後にハイデルベルクを訪れたら、また違ったLAMYに出会えるよ。」というどこまでも前を向いて行動し続ける企業文化に触れることができたこと。
社屋そのものがLAMYのモダンデザインであったし、生産現場も明るくドイツらしい先端技術が集められた素晴らしいものであった。ほとんどの製品部材が社内で生産され、敷地内に金型工場まで要し、物流システムも見事だった。
気がついたのだが、ショールーム以外の部屋にはネームがない。なぜかと訊ねると、「部屋は間違って入室してもかまわないのさ。そうすればお互い挨拶が交わせて楽しいでしょう。」というオープンな雰囲気を大事にする社風でもあるのだ。
Dr.ラミーの芸術性の高さを表現している屋上庭園やハイセンスなカフェテリアなど、魅力あふれる高品質な筆記具は素晴らしいこのドイツ企業によって生産されていた。
毎年日本のLAMYファンのために、特別なカラーを施した限定生産のサファリが発売されるが、2009年モデルはオレンジ色という。4月上旬までに入荷の予定だが、筆者自身がコレクションの一つにすることは間違いない。
LAMY取扱店一覧
http://www.lamy.jp/dealer/index.html